労働から「おじさんと四駆車」

トラック荷積みの仕事は二人一組で行う。
一人が下から荷物を送り、荷台に上がったもう一人がそれを積む。その作業をトラック5~7台ひたすら行う。

 

パートナーは日によって違う。シフトなどの関係で、毎日同じ人にはならない。

運動量はあるが単調な作業だから、会話する余裕がある。
パートナーによってはまったく会話することなく終わる日もあるが、たいてい何かしらの話をする。

 

先日のパートナーは60代のおじさんであった。
いつも酒の匂いを漂わせていて、同僚たちの間では自己中心的だという評価をされている。
「自分の仕事しかやらず、他のサポートをしない」、というのがその評価の理由である。
他の同僚たちも、建前でサポートはしているが、本心では自分の仕事以外はしたくないのだろう。だから、サポートをきっぱりやらない人を陰で叩く。

 

そのおじさんと荷物を積みながら車の話をしていた。
おじさんは古い4駆に乗っている。車種名を知らないが、8人くらいは乗れそうな大きさの車である。私はその車の保険料や税金などの話に興味があった。


何年くらい乗っているのか、と私が聞くと、
「もう二十歳だ。」とおじさんが言った。少しわかりづらいが、その車に20年乗っているという意味だった。
話を聞いていくと、家族に病人がいたから、山の上にある大学病院に通うため力のある車が必要だったらしい。
古くなった車は修理などで金がかかる。税金は年数によって変わってくるのかもしれないが、修理のためにかかる金額の方が負担は大きいだろう。買い換えを考えはしなかったのだろうか。
「愛着がわいてるからダメだ。」
長く乗った車に愛着があるということなのだろうと私は解釈し、ひとまず会話を打ち切った。

 

前半の3台を積み終わり、トラックの入れ替えの時間になる。
わずかな時間だが、それぞれタバコを吸ったり、トイレに行ったりする。

私もタバコを吸い、入れ替えが終わるのを待った。その間たまたま近くにそのおじさんがいたから、また会話を始めた。
「たしか○○さんは娘さんがいましたっけ?」

話のとっかかりに何気ない質問を私はした。
「ああ、子供は三人いた。一人は病気でなくしちまった。」

おじさんはその病気だった子供をあの四駆車で大学病院に定期的に連れていっていたのだ。話し方からすると数年か、もしくは10年以上の通院だったのかもしれない。

「もう失うものはねぇんだ、おれは。」
おじさんが吐き捨てるように言った。私は反射的に、
「どうしてですか。」
と聞き返してしまった。

「親も死んで、子供も死んで、カカア(奥さん)も死んだ。これ以上失うものなんてねぇだろう。」

私は返す言葉が出ず、
「でも、娘さんもいるし、お孫さんもいるじゃないですか。」
となんとか話を前向きな方向に持っていこうとした。

「それが、孫が目に入れても痛えんだよ!」
とおじさんは笑った。お孫さんはいたずら坊主らしい。

 

私がそのおじさんとパートナーになったのはこの時が2回目だった。

シフトの関係で、よく一緒になる人とたまにしかならない人がいる。何回か一緒に積むと、細切れの会話によってお互いのことが徐々にわかってくる。


この職場で働いていると、みな痛みを抱えているのだ、と思う瞬間がある。
私はそれについて同情するとか、優しく接しなければと態度を改めるとか、素直にそう思うほど人間ができていない。
しかし、痛みを抱えながらも生きるために働く人々の力強いエネルギーのようなものに感心させられる。
私もそのエネルギーのようなものを発しているのだろうか。


おじさんの車への気持ちは、車への愛着ではなく、失ったお子さんとの思い出なのかもしれない、などと私は思った。

「人間は一瞬でも誰かと真に心が通じ合った思い出さえあれば生きていける」とは、誰の言葉だっただろうか。
そんな言葉はないかもしれないが、私にもわかるような気がする。